「登板1試合投手」からNo.1営業マンに 東京六大学から巣立った26歳の野球人生
野球人生で培った継続力「営業も『売れない日』にどれだけ努力し続けられるか」
ベンチ入りを告げられた。善波監督には「庭田、行くからな。準備しておけよ」と言われた。武者震いする思いだった。
13-0とリードして迎えた9回。試合は決していたが、そんなことは関係なかった。伝統ある「Meiji」のユニホームをまとい、神宮のマウンドに上がる。幼い頃から憧れ、浪人してまで目指し、イップスも二足の草鞋も経験しても、ずっと立ちたかった場所だ。
「本当は緊張しちゃうタイプだけど、その試合だけは緊張することなく、本当に楽しくて。いつもなら周りが見えなくなるのに、プレーの一つ一つを鮮明に覚えていて。一球一球、噛み締めながら投げることができて、良い意味の違和感があったことを覚えています」
1つの四球を与えたものの、打者4人に無安打無失点。試合を締めると、入学から見守り続けてくれた善波監督と田中武宏コーチに「ナイスピッチング、よくやった」と言われ、胸が熱くなった。
結果的に4年間で登板はこの試合だけ。通算成績は1試合0勝0敗、防御率0.00。数字にすれば味気ないが、色濃い4年間を過ごし、明大を巣立った。
「一番は自己成長のため。20代のうちは成長し続けたい。ここなら、自分が成長すると思って入りました。不動産業界で日本一を目指している会社。何かを目指してやり続けるというのが、野球人生で目指していたものと感覚がマッチしていたので決めました」
就職活動で選んだのが、オープンハウス。常に高みを求め続ける企業風土と、成果を正当に評価する実力主義の営業の仕事に惹かれた。もちろん、簡単な仕事ではないが、大学生活を始め、野球人生で学んだことが生きた。一番は「継続することの大切さと難しさです」と言う。
「単発で結果を出せる人は多いですが、それをやり続けることが難しい。高校、大学で、その難しさを経験してきたことが今の仕事に生きています。その時点で結果が出ても出なくても、同じように結果が出るまでやり続けることが人間は一番難しいと思っているので」
不動産の営業は「売れない日」の方が多いという。「その『売れない日』にどれだけ頑張って努力して、お客さんが来る日までどれだけ自分の腕を磨き続けられるか。継続力が試される仕事。そこが本当に生きています」と実感を込めた。
こうして入社3年目にして、全営業マンでトップのセールスを記録するまでに成長。ただ、本人は「今月残りわずかでも年間の過去最高を大幅に塗り替えたい」と満足することがない。それも、明大時代の出来事が影響している。
イップスで悩んでいた時、寮で同部屋になった1年先輩の星知弥(現ヤクルト)から「目指しているところが低すぎるから、そうなるんだぞ」と言われたことがある。
「当時はあまり気持ちが強くなかった。星さんは自分とは目指すレベルは違うけど、『プロで勝つことを目指してやっているから、大学野球は通過点』『お前もリーグ戦で投げたいと言っていたら、一生投げられない。その先を目指せ』と言われました。その言葉が今もずっと仕事に生きています」
野球人生で得た経験のすべてを糧にして、社会人として奮闘する日々。営業マンとしての武器について「相手の話をしっかりと聞くことができて、求めているものを適切に提案できる。あとは誰よりも気持ちが強いということです」と言い切った言葉は、自信に満ちていた。
長い社会人生活。「3年目」は野球で例えるなら、まだ初回の立ち上がり。真価を問われるのは、ここからだ。
「2年以内に部長の役職に就きたいのが目先の目標。その先は、なんらかの形で野球に携わりたいと思っています。目の前の仕事を全力で本気でやりながら、結果として野球に恩返しができるようなことができれば。今はとにかく目の前のことをひらすら、がむしゃらに、です」
東京六大学でたった1イニング、10分足らずの「登板1試合」までに費やした時間と努力は計り知れない。しかし、それは社会人というマウンドに立つ今、血となり、肉となり、未来を確かに、照らしてくれている。
(神原英彰 / Hideaki Kanbara)