16年の阪神復帰叶えた藤川球児の存在価値 OB藪恵壹氏が語る金本前監督の存在
2016年に藤川が阪神に復帰できたのは「金本監督がいたおかげ」
今季限りでの引退を発表した阪神の藤川球児投手。日米通算250セーブまで、あと5つと迫る中での決断は、驚きを持って受け止められた。日米通算22年の現役生活。NPBでは17年を過ごし、通算779試合で60勝38敗163ホールド243セーブ、防御率2.07という圧倒的な成績を挙げている。
“火の玉ストレート”と呼ばれる剛速球を武器とした右腕は、2012年オフに海外FA権を行使してカブスと契約。阪神のユニホームを脱いだが、メジャーなどで3シーズンを過ごした後、2016年に古巣復帰を果たした。
阪神OBで元メジャーリーガーの藪氏は、藤川が前例のない阪神への“出戻り”ができたのは、当時の金本知憲監督の熱意があったからだと見ている。
「僕が阪神の1軍投手コーチをしていた2012年のシーズンオフにメジャーに行って、向こうでは思った成績が出せずに、2015年のシーズン中に日本に帰ってくる選択をしました。この時、阪神もオファーを出したけど、あまり誠意のないオファーで、結局、地元・高知の独立リーグに入った。そして翌2016年に阪神に戻ってきたわけですが、あれは金本監督がいたから戻れたんだと思います。
それまで阪神は、FAで自分の意志でチームを出ていった選手を呼び戻すことはしなかった。むしろ『なんで戻す必要があるんだ』という声があったくらいです。それでも金本監督が熱望したから、球団も折れたんでしょう」
藪氏も2004年オフに海外FA権を行使して、阪神からアスレチックスへ移籍。5シーズンを海外で過ごした後、2010年途中から楽天に加わった。楽天では11試合に投げて2ホールド、防御率1.36。終盤に負った足の故障の影響もあり、シーズン終了後に戦力外となった。
この時、現役続行を希望していた藪氏だが、実は古巣・阪神とこんなやりとりがあったという。