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コロナで次男が夏を奪われた元甲子園V左腕 生死の境を彷徨い芽生えた指導者への情熱

高校時代に愛知の強豪・東邦でエースとして、1989年のセンバツで優勝し、中日、広島で左の中継ぎ投手として活躍した山田喜久夫さん。平成最初の甲子園優勝投手となった山田さんはプロ野球の世界でも10年間で222試合6勝8敗、防御率3.76の成績を残し、99年に現役を引退した。

次男と球場に向かう道中で学校からの一報を耳にし「もしや…と」

「簡単に『残念だったね』で終わる話ではない。『惜しかったね、出れなかったね』だけでは……。一生のことだから。子供たちに失礼すぎて言葉にできない」

 山田家では現在大学1年生の長男、高校3年生の次男、高校1年生の三男と、息子は3人とも父の後を追い、東邦の野球部に入った。山田さんにとって3人は息子でもあり、野球部の後輩でもある。

「人間的に大きくなってほしいし、自分が汗と涙を流したグラウンドでやってくれるのは嬉しい」。だが、甲子園で頂点に立つ喜びも、地道な努力の大切さも味わってきた山田さんは、自分たちではどうすることもできない結果を受け入れるしかない次男に何と声をかけていいか分からず、ショックで言葉が出てこなかったという。

「『お疲れさん』とは言いましたよ。でも息子は、俺の前では泣いてなかったけど、選手たちみんなと一緒に泣いていた。これは、同じ野球人として軽々しく言えない。18歳はもう戻ってくることはない。世の中に出たらもっと厳しいことに遭遇するだろうけど、高校野球をやらせてあげて欲しかったなと思う。俺にとっても辛いし、今でも思い出すと泣けてくる」

 東邦はその1か月後、同じ境遇となった県岐阜商と3年生の引退試合を開催。試合は2-11で敗れたが、スタンドからは温かい拍手が送られた。

「県岐阜商にはボロ負けしたけど、勝ち負けよりも、最後に試合を開き、区切りをつけてくれた関係者の人たちには本当に感謝しています」

 そして今、必死に野球に励んできた後輩たちの姿を見て、山田さんの胸の中には、いずれは母校に戻り、後輩たちを指導したいという思いが芽生えてきているという。

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