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コロナで次男が夏を奪われた元甲子園V左腕 生死の境を彷徨い芽生えた指導者への情熱

高校時代に愛知の強豪・東邦でエースとして、1989年のセンバツで優勝し、中日、広島で左の中継ぎ投手として活躍した山田喜久夫さん。平成最初の甲子園優勝投手となった山田さんはプロ野球の世界でも10年間で222試合6勝8敗、防御率3.76の成績を残し、99年に現役を引退した。

芽生えた指導者への思い「元気になったら資格を回復して母校で野球を教えたい」

「学校から教えてくれと言われているんです。これまでは体が悪かったから無理だったけど、元気になったら資格を回復して母校で野球を教えたい。それが今の一番の目標ですね」

 山田さんは99年に引退後、翌年から横浜、中日で打撃投手を計13年間務め、13年からは名古屋市内でわらび餅屋「喜来もち ろまん亭」を営む傍ら、週末は少年野球の指導を続けている。腎臓を悪くし、一時は生死を彷徨っていたが、昨秋、妹から腎臓を移植してもらい、一命を取り留めた。まだ通院は続いており、薬も欠かせない状況だが、今後、体の状態がさらに回復していけば、学生野球資格回復制度の研修を受け、東邦で指導者を務めるプランを思い描いている。

 現在、名古屋市内で指導している少年野球チーム「侍」では勝敗にはこだわらず、子供たちに野球を好きになってもらうことを目的に指導をしている。教えるのは幼稚園の年中から小6まで。子供が楽しそうに野球をやる姿が見られることが何よりのやりがいだ。そして、現役時代の監督だった故・高木守道さんからの教えを守り、指導を続けている。

「高木さんからは『子供たちを教える時は、お前はできるけど、皆はできないものだと思って接しなさい』と言われました。『全然できないと思えば、こっちも頭にこない。まずは子供たちに野球を好きにさせなさい』と。だから、のびのびプレーできるように、エラーしてもその子を責めない。挨拶や礼儀ができない子には相手のことを思って厳しく言いますが、感情的に怒ることはしないようにしています」

 その根底には、小学生らしく野球をして欲しいという思いがあるのだという。

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