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コロナで次男が夏を奪われた元甲子園V左腕 生死の境を彷徨い芽生えた指導者への情熱

高校時代に愛知の強豪・東邦でエースとして、1989年のセンバツで優勝し、中日、広島で左の中継ぎ投手として活躍した山田喜久夫さん。平成最初の甲子園優勝投手となった山田さんはプロ野球の世界でも10年間で222試合6勝8敗、防御率3.76の成績を残し、99年に現役を引退した。

少年野球チームでの指導は「勝とうと思ってやっていない」

「たかが少年野球。ボール捕れた、ヒット1本打てた、投げられなかった距離が投げられるようになった……それでいい。親御さんから『こんなに負けっぱなしだと山田喜久夫の名が廃りますよ』って言われたこともあったけど、重視しているのは人間教育。負けても得るものはたくさんある。勝とうと思ってやっていないから、勝ちを優先したければ、他に行ってくださいと言っています」

 高校時代には阪口慶三監督(現・大垣日大監督)から、相手の気持ちになってプレーすることの大切さを学んだ。今度はそれを次世代に伝えていく番だ。

「プロは弱肉強食の世界だが、小学生は小学生らしく、高校生は高校生らしく野球をしないといけないことを教えてもらった。子供たちにも、相手への思いやりをもって相手の胸に投げなさい、心のある野球をしなさい、と言っています」

 現役を引退して21年。「野球を辞めてから思うのは、どんなことにも挑戦していくことが大事だということ。人生何があるかわからないから、投げやりにならず、最後まで諦めちゃいけない。失敗したって若いうちは取り返しがつく。失敗を怖がらず、挑戦し続けることが大事」と話す山田さん。49歳となった今も、その思いは変わらない。阪口監督の教え、高木監督の教えを胸に、いつか後輩たちを指導する日を夢見て、まずは体の回復に日々努めている。

(福岡吉央 / Yoshiteru Fukuoka)

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