入寮後すぐ休部通告→移籍先も統廃合で消滅…引退決断の34歳野手が挑む最後の大舞台
日産で過ごした日々はわずかでも「贅沢な1年でした」
日産に在籍したのは1年だったが、とても有意義な時間だった。
「周りは社会人野球界では有名な方ばかりでした。そんな人たちの声を聞ける。贅沢な1年でした。ある日、先輩に『靴のサイズが合っていない。バッターは足を使って打たなきゃいけない。靴と足のサイズの差があってはいけない』と教えられました。それまで、靴のサイズを気にしたことはなかった。毎日勉強の日々でした」
わずかな時間だったが、名門と言われた日産でプレーした誇りとプライドがあった。その経験を生かし、少しでも長く野球を続けようと移籍をしたが、上手くいかなかった。
「最初の1、2年は本当に結果が出なかった。チームに迷惑をかけてばかりで、早々に引退するかもしれないと思っていました。一日、一日結果を出すことに必死でした。3年目にキャプテンになって、4番を任せてもらえるようになってから、やっと結果も出るようになってきました」
補強での出場も含めて、2018年には都市対抗10年連続出場の表彰を受け、その年の日本選手権では初優勝を果たした。しかし、チームは2年連続で都市対抗出場を逃していた。「4チームも持っている会社は少ないよね……」。周りではそんな話題が出るようになっていた。
「練習中に集合がかかりました。その感じが日産の時と似ていたんですよね。集合の仕方がただならぬ雰囲気だった。統廃合の話を聞いたときは『またこれを経験するのか』と思いました」