「もう地獄ですよ」「来年、もう1回」… 広島ドラ3大道が恩師から得た“卒業証書”

「僕という投手を作ってくれたのは正村監督」

「プロに行きたいと伝えたからこそ、本多監督は決めてくれたと思います」と大道。正村監督は声をかけたわけではなかったため、「思いっきり投げているだけだな。細いしなぁ」という印象だったという。人間は会うべき人と適切なタイミングで出会うようになっている。行きたかったわけでも、誘ったわけでもなく、“師弟”は本多監督によって引き合わされた。

 入寮早々から教示を求め、公式戦は1年春から登板。最初のやる気は経験する浮き沈みや現実、実力をはかることで揺れ動く。プロへの思いはいつしか霞んでいったが、順風満帆な人生なんてない。3年生のシーズンを経て固めた決意は、広島からの3位指名という形で結実した。

「僕という投手を作ってくれたのは正村監督」

 ドラフト当日、大道はそんな言葉で感謝を表した。だが、こんなことを言われると、指導者はくすぐったいかもしれない。「本人の頑張りですよ。大道が頑張らないと、こっちが言ったことだって、できないんだから。そこが土台ですよ」と正村監督。指導者は選手のそばで辛抱強く、道を示す。選手とは育っていくものなのかもしれない。

「頭を振るな」「軸をぶらすな」――。何度言ったか、言われたか。

「一生懸命投げようとするから、余計に頭を振ってしまうけど、それだと腕が振れないよ、と。それが、体が強くなってきて、『あれ? そんなに力を入れなくてもボールがいくじゃん』って気がついてから技術的にも伸びて、抑えられるようになったんじゃないかな」(正村監督)

 体が追いついたのか。

「いや、体が追い抜いたかもしれない。『思い切り投げなくてもボールがいく』と教えてくれる体を、大道が作ったんですよ」と称える。2年秋からはリーグ戦中もウエートレーニングをするようになっていた。加えて、3年夏の変化がある。「軽く、ピュッと投げる感じを続けられるようになったのは、この間、4年秋の富士大戦くらいからですよ。フォームをゆったりさせて、リリースでピュッと合わせる。今は相当、楽に投げられています」と大道。

「まぁ、あいつは、何かと初めてずくしでしたよ」

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