シーズン78盗塁や“昭和の柳田悠岐”も? 70年前の「パ初代ベストナイン」が凄い

通常は投手は1人ながらも紙面上にはさらに2人の投手の名前が…

「(リーグ再編で)チームがたくさんできたので、新人王の資格がある選手はたくさんいました。その中でも荒巻さんは社会人で元々実績のあるピッチャー。それに加えて毎日の打線が良かったこともあって、勝利をたくさん稼げたというのはあると思いますね」

 確かに、1950年の毎日はチーム打率(.286)、本塁打数(124)、得点(713)といずれもリーグ1位の成績を残している。強力打線のバックアップと、荒巻投手自身のすばらしい投球の歯車が噛み合ってこその好成績であると言えるだろう。

 通常、投手は1人だけの受賞となっているが、紙面上ではさらに2人の投手についても取り上げられている。1人目が、毎日・野村武史投手だ。シーズン18勝4敗で最高勝率のタイトルを獲得しただけでなく、第8回の記事でも触れたように日本シリーズで3勝を挙げるなど大車輪の活躍を見せた。「2球とつづけて同じポイントに同じ球速のボールを投げることは絶対にしない(紙面より)」ほどのカーブとシュートの制球力、そして素晴らしいマウンド度胸を兼ね備えていたようだ。

 3人目に挙げられた南海・柚木進投手は紙面上でこそ「力、技とともにいま一息のところ」とされているものの、シーズン19勝10敗の好成績。1948年から1954年まで7年連続で2桁勝利を達成している。9年間で123勝64敗を記録し、南海の黄金時代をけん引した大エースだ。ちなみに、柚木投手は背負った背番号は「21」。南海の後身であるソフトバンクでは、同じサウスポーの和田毅投手が背負っている。

「攻守において日本一の捕手」は打率.322の好成績

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