「やりがいはある、でも…」運送業者となった交流戦初代“首位打者”が届けたいもの
交流戦では大活躍、セ・リーグ投手を打ちまくる
2005年は規定打席を超える活躍を見せ、初年度となった交流戦は打率4割をマークし初の“首位打者”を獲得した。
「久しぶりにセの球団と対戦できたので楽しかったですね。この年は主にセカンドを守ることが多かったんですが、必死でした。守備が下手だったので、守れない分、打つ方でがんばりました」
西武ではライバルはいつも外国人選手だった。フェルナンデスやボカチカといったパワーのある打者との戦いだったが、石井氏は技術で勝負し、出場機会を得ていった。
「力で負けるけど、技術の細かさは日本人選手が上だと思っていました。パワーで負けても、ミート力、確実性は勝てるのではないかなと思っていました」
ミート力は中学までやっていた軟式野球の練習で身についたという。その感覚が指導者になっても残っていたため、埼玉武蔵でコーチをしていた頃は選手に軟式ボールを打たせて、ミート力を向上させたこともあった。
石井氏は2011年に西武を戦力外となるも、巨人が獲得。代打の切り札として活躍した。2012年のクライマックスシリーズ・ファイナルステージ第5戦ではサヨナラ安打を放ち、シリーズMVPに選ばれた。
今、ふと思う時がある。
「野球しかやっていなかったので、仕事があるだけでもありがたいです。ただ、まだどこかで野球界に戻りたい、貢献したいなという気持ちもあります。野球の指導の現場の今と昔は変わってきていると思います。スキルも上げていきたいなと思っています」
運送業の仕事をしながらも、いつか、子供たちに野球の技術を送り届けたいと願っている。