小学生時代の恩師が見た田中将大VS坂本勇人 初回の対決は「力んで制球が散らばった」
田中将大は坂本勇人を称賛「追い込まれてから四球を選ぶあたりはさすが」
この日、1回2死走者なしで坂本の第1打席を迎え、カウント3-2から投じた内角高めの速球は150キロを計測したが、見極められ四球を与えた。
4回には先頭の若林晃弘に右中間席へ先制ソロを喫し、次打者が坂本。カウント1-1から149キロの内角速球を中堅フェンス際まで飛ばされたが、なんとか中飛でしのいだ。さらにこの回、2死二、三塁とされ、ベテランの中島宏之を迎えると、ツーシームとスライダーでカウント1-2に追い込んだ後、この日最速タイの150キロの速球で空振り三振に仕留めた。バッテリーを組んだ太田光捕手に、「この日ギアが上がったように見えた場面は?」と聞くと、「中島さんを三振に取った最後の球は凄かったですね」と感嘆した。
マー君がギアを上げたのは、中島を抑えた場面だけだっただろうか。ちなみに、田中将と坂本は1988年生まれの同級生で、小学生時代には兵庫県伊丹市の少年野球チーム「昆陽里(こやのさと)タイガース」でともにプレー。6年生時には坂本が投手、田中将が捕手としてバッテリーを組んだ。当時の監督で現在理事長を務める山崎三孝氏は、この日の第1打席の四球を「田中が力んで制球が散らばった」と見た。
山崎氏は「坂本と田中は性格が対照的。当時も親友というよりライバルでした。田中は真面目で、練習が終わればすぐに帰宅。当時コーチを務めていた父親と一緒に個人練習をしていたのだと思います」と明かす。
中島へのラストボールと同じ150キロの速球が外れ、因縁の坂本を歩かせた田中将。「追い込まれてから四球を選ぶあたりはさすが」と相手を称賛してみせた。坂本だったからこそ、ここでもギアを上げていたのだと言ったら、見る側の思い込みが強すぎるだろうか。
(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)