「最初は甲子園を目指そうと…」 話題の57歳“オジサン球児”が大学野球を選んだ訳
「まずチームでの競争」学生時代の“心残り”も情熱を傾ける原動力に
ただプレーを楽しむのではなく、目標に向かって突き進みたい。「本当は最初、甲子園を目指そうと高校生になろうと思ったんですが、高校野球は年齢制限があるので……。だったら大学で」と言って笑う。愛知大学野球連盟の規定では、在学通算4年以内であることや、過去に他の連盟に所属していないことは明記されているだけで、年齢制限はなし。聴講生などでもなく「学部生」である必要があるため、加藤さんは受験した。
もちろん、現実は厳しい。名工大は現在リーグ3部に所属。1部まで昇格し、優勝しなければ全国への道は開かれない。ただ、大切にしているのは目標に向かって日々積み重ねていく過程。遊び半分の気持ちは毛頭ない。「まずチームでの競争。ベンチ入りメンバーに入らないといけません」。平日は練習できないため、早朝や仕事終わりに坂道ダッシュなどの個別トレーニングに励む。
ここまで情熱を注ぐ原動力のひとつには、学生時代の“心残り”がある。小学4年から地元・岐阜のスポーツ少年団で始めた軟式野球。中学でも続けたが、2年夏を境に遠ざかった。当時、言葉を発する際に詰まってしまう「吃音」の症状があり、意思疎通が欠かせないチームスポーツは厳しいと判断した。高校は部活動に所属せず“帰宅部”。大学ではヨット部に入り、白球とは縁がなかった。
40年ほどの時をへて、取り戻した青春。「気持ちは19歳です」と目尻に深いしわを刻む。57歳になる年に入学したため、4年生を迎える還暦を一区切りにしたい。
「三振になって歩いてベンチに戻るのは簡単ですが、ボールが前に飛んじゃうと走らないといけないですからね。せめて二塁までは走れる体力をと考えると、50代の今が最後のチャンスかなと思っています」
記念すべき公式戦デビューの日は、くしくも結婚記念日だった。「まあ妻は、私のやってることに関心ないようですが」と苦笑いを浮かべるが、その表情からは充足感が溢れる。次なる目標は、公式戦での初ヒット。「野球は楽しいですねぇ」。オジサン球児の情熱は、当分冷めそうにない。