巨人から2年連続ドラフト指名も2年で引退… 戦力外知った夜に憧れの先輩からの“温情”
フェニックスL参加中に帰京の指示、前夜に片岡コーチに呼ばれ…
2年目も2軍戦で14試合出場にとどまり、支配下登録は叶わなかった。シーズン終了後は、秋季教育リーグ「みやざきフェニックス・リーグ」参加メンバーとして宮崎へ。ドラフト会議が直前に迫ったころ、球団スタッフから帰京するよう指示された。それがどんな意味を持つか、選手なら誰でも察しがついた。
もう巨人の選手としてくることがないだろう宮崎での最後の夜。当時2軍内野守備走塁コーチだった片岡さんから部屋に呼ばれた。「2人で飲むぞ」。宿舎の一室で酒を酌み交わす。人生の岐路を前にもらった言葉は、今でもはっきり覚えている。
「俺は一生懸命なやつが好きなんだ。お前はいつも遅くまでやっていたし、野球に対しても、裏方さんに対しても、ちゃんとしているから、お前は応援される人間なんだ。上で活躍する人は、そうじゃないといけないぞ。謙虚にコツコツ努力する。これからも、その姿勢で頑張れ」
怪我と戦い、わずか2年での戦力外通告。やれることはやり切ったと、NPBの合同トライアウトは受けないつもりだった。片岡さんに電話で報告すると、諭されるように言われた。
「お前は納得しているかもしれないけれど、ファンは突然別れを言われてすごく辛いんだぞ。ファンのために最後にユニホーム姿を見せてあげてこい」
苦しかった2年間のけじめ。トライアウトの打席に立ち、巨人のユニホームでフルスイングを貫いた。2度も指名してもらいながら、戦力になれなかったことが悔しかった。ただ、プロ野球選手はゴールではない。この経験を今後の人生に活かすと心に誓った。
引退後は約30社から声がかかり、独立リーグ時代を過ごした香川県高松市の建設会社に就職。営業として経験を積んだ。しかし、ビジネスマンとして働く中、ふつふつと湧き上がってきたのは野球への思いだった。
「時々、香川で知り合いのお子さんに野球を教えていて、その時間がすごく楽しかった。本当にやりたいことはこれかなと感じました」