甲子園決勝で9回2死からの大逆襲 伝説の一戦で日本文理のエースが得たものとは?
「大人が一戦にかける姿は人の心を動かす力がある」
「たくさん取材も受けたし、知らない人からも、あちこちで話しかけられた。普通の高校生ができない経験をさせてもらって、相手の気持ちが分かり、自分の考えを言葉にできるようにもなった」
当時の新潟県は甲子園で1勝すれば大ニュース。もちろん、新潟県代表が決勝進出するのも初めてだった。日本文理ナインは地元の“伝説”となり、伊藤さんの名前も全国区となった。
マネジャーは色々な立場の人の間に入る。チームでは選手と選手の間や、選手と監督・コーチの間。ヤマハの社内関係者や社外の人たちと野球部をつなぐ役割もある。伊藤さんは「勝利を目指す選手と一緒に喜べるのはうれしいこと。マネジャーの仕事はチームの雰囲気や結果にも影響すると思っている。チームが勝てるように、社内外から応援してもらえるように橋渡しをしたい」と語る。
そして、さらに壮大な「橋渡し」も思い描いている。「社会人野球の技術の高さをもっと知ってもらいたい。それに、負けたら終わりのトーナメント戦で甲子園にも似ている。大柄な大人たちが一戦にかける姿は人の心を動かす力がある」。甲子園に名を刻んだ準優勝投手は、第2の人生で黒子として野球の魅力を伝えようとしている。
(間淳 / Jun Aida)