22日甲子園で高校女子選手権決勝 阪神タイガースWomen三浦伊織主将が贈るエール

阪神タイガースWomen・三浦伊織【写真:球団提供】
阪神タイガースWomen・三浦伊織【写真:球団提供】

小学生時代はエースで3番「オリンピックに出られるんじゃないかと…」

 この夏、史上初めて全国高校女子硬式野球選手権の決勝が、男子の選手権と同じ阪神甲子園球場で行われる。女子野球の未来を考える上で、歴史的な転回点となりうる大きな、大きな一歩だ。野球少女たちの目標となるものがまた一つ生まれ、この世界が知られるきっかけにもなるだろう。

 今年から活動を初めた女子野球のクラブチーム「阪神タイガースWomen」の三浦伊織主将は、何度も野球から離れながらも最後には硬球を握り、女子プロ野球で打撃のレジェンドと呼ばれる数字を残した。女子が甲子園を目指すなどととは考えられなかった時代に、紆余曲折を経ながらも野球を続けられた理由を振り返り、後に続く世代へエールを贈った。

 三浦は小学校1年の時、2歳上の兄と、コーチをしていた父の影響で少年野球のチームに入った。とにかくボールを打つのが好きな女の子は、上級生になるとエースで3番打者。「だから、漠然とプロ野球選手になれるんじゃないか、オリンピックにも出られるんじゃないかと思ってやっていましたね」と振り返り、プレーで男子を寄せ付けなかった。シドニーやアテネ大会を見て、五輪に漠然とした憧れがあった。ただ当時、女子が野球を続けようとするのは、今よりずっと“特別“なこと。中学に進学する時、最初の壁が訪れる。

 チームメートだった男子は皆、中学校の軟式野球部に入った。自分も同じようにできるはず……と動いたところで、現実に気づかされた。「野球部に入りたいとは言いましたけど、女子はソフトをやりなさいという感じで……」。半ば仕方なくソフトボール部に入り、一宮市の大会で優勝するなどの実績を残したものの、どこか満たされなかった。「ボールは大きいし、フィールドは狭い。似ているけど違うものという感じでしたね」。1年生の時にはテレビ番組の企画で、当時片岡安祐美の在籍した茨城ゴールデンゴールズと対戦するチームに応募し、採用されたこともあった。野球をしたいと思っても、かなえてくれる環境はごくごく限られていた。

 高校進学時には、ソフトボールと、小学校2年生から続けていたテニスのどちらを続けるか迷った。野球に戻ることも頭をよぎったが、女子野球部のある高校はまだ全国で5校しかないという時代。地元を離れる不安は大きかった。テニスを選び、3年生では団体戦で高校総体4強という成績も残したが「個人戦では思い描いたほどの成績は残せなかった。この先、必死に練習したとしても、テニスでトップレベルの選手たちを打ち負かしていけるのだろうか?」と限界も感じていた。幼いころ、野球で抱いた「オリンピックに出たい」という思いがくすぶっていた。体育の成績は常に5。得意なスポーツで輝きたいという思いは消えなかった。

運命の女子プロ野球誕生「とにかく打つことが好きだった」少女の転機

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