珍しい野手から投手のコンバート 過去には“松井キラー”やイチロー同期の三塁手も
投手→野手→さらに投手という数奇な運命をたどった遠山
3球団でプレーした萩原淳は、強肩強打の三塁手として1992年ドラフト2位でオリックスに入団、イチローや田口壮と同期だった。ただ野手としては2000年までの9年間に通算1安打と結果を残せず、同年のシーズン中に投手へ転向した。
2001年に1軍初登板、2002年には48試合に登板し10セーブ、防御率2.64の好成績を残した。2007年シーズン中に日本ハム、2008年からはヤクルトに移籍、2010年を限りに引退した。投手としては通算9年、270試合に登板し13勝15敗20セーブ、防御率4.91。6シーズンで30試合以上登板し、タフなリリーフとして鳴らした。
投手から野手、さらに投手へという数奇な運命をたどったのが阪神、ロッテでプレーした遠山奨志だ。1986年に八代第一高(熊本)からドラフト1位で阪神入団。清原和博の外れ1位だった。1年目から1軍で8勝、防御率4.22という成績を残したものの、故障に悩まされ成績はどんどん落ちていった。1990年オフに高橋慶彦とのトレードでロッテに移籍した。
ロッテでも投手としては成績を残せず、1995年に外野手へ転向、野手2年目の1996年には2軍イースタン・リーグで最多安打を記録した。2軍ではクリーンアップに座り強打を誇ったものの、1軍での出場機会には恵まれず、1997年オフに自由契約となった。
ここで古巣の阪神が投手として獲得、1998年にテスト入団で復帰を果たした。1999年からは監督に就任した野村克也の勧めでフォームをサイドスローに変更、巨人・松井秀喜キラーとして鳴らした。2000年には右横手の葛西稔とポジションを一塁、投手と入れ替えながらの1人一殺リレーが話題になった。投手としては通算14年で393試合登板、16勝22敗、防御率4.38、野手としては1995、96年の2年間に出場した12試合、16打数3安打、打率.188が全てだった。
(Full-Count編集部)