イップスの苦しみが“転機”の始まり… 子どもたちに伝える「心との向き合い方」

大きな出会いだった仁志敏久氏との時間に感じたこととは…

 当時は、まだイップスが広く知られていなかった。結局、川島さんは完治しないまま、高校生活を終えた。イップスは初期段階で投げることをやめて悪いイメージを忘れ去ることが重要で、川島さんは時間が経っていたこともありイップスの感覚を忘れることができなくなってしまい完治しなかったという。この状況では上のレベルで野球を続けるのは難しいと考え、中学生から掲げてきた目標を断念した。ただ、貴重な出会いがあった。当時JR東日本の野球部に所属していたトレーナー。ボールを投げられなくなった理由はイップスと指摘され、改善策を教わった。他にも、けがのリハビリや筋力トレーニングについても学ぶきっかけとなり、トレーナーの役割や可能性を知った。「イップスになった選手や、けがをした選手をサポートする」、「リハビリやトレーニングを学んで野球の現場を変える」。川島さんは新たな目標を定めた。

 トレーナーの他に、高校野球の監督を目指す道も選択肢としていた川島さんは、大学で教員免許を取った。そして、指導者やトレーナーに必要な知識を得るため、専門学校に通った。卒業後は、スポーツ選手やチームをサポートする「ワイズ・スポーツ&エンターテインメント」で勤務。ここで、川島さんは価値観を覆され、「トレーナーの道1本に絞ろう」と決断する。

 主な仕事の中に、巨人や横浜でプレーした仁志敏久氏と一緒に開催する野球教室があった。そこで、衝撃を受ける。自分が高校までに教わったことと、プロの指導がまるで違っていたのだ。体の正面で打球を捕るのが当たり前だった川島さんの耳に、「捕球のしやすさと、送球までを考えると、今の打球はあえて逆シングルで捕った方がいい」というプロの言葉が入ってくる。プロの選手は内野ゴロに対しても、ボールのバウンドが見やすいように、また送球にスムーズに移行するために少し膨らみながら捕球体制にはいる。自分の当たり前が、もう当たり前ではなくなっていた。

「高校で習った知識を今の高校生に教えたら、プロとは違う技術を教えてしまうと思いました。技術はプロの方に、私はトレーナーになって、フィジカルトレーニングとアスレティックリハビリテーションで子どもたちや親御さん、指導者をサポートしていった方が関わった方々に貢献できると思い、トレーナー1本でいこうと決めました」。

 特に大きなきっかけとなったのは、仁志氏との出会いだった。「ワイズ・スポーツ&エンターテインメント」の山本晃永代表が巨人のトレーナーをしたことから、川島さんも仁志氏の自主トレを担当。その縁もあって、仁志氏が監督として率いるU-12の侍ジャパンでアスレティックトレーナーを務めた。日本の選手はアメリカやパナマの選手らと比べると体は小さく、パワーではかなわない。しかし、技術は負けていなかった。日本は2017年の「第4回 WBSC U-12ワールドカップ」で4位に終わったが、川島さんは正しい体の使い方を身に付ければ、対等に戦えると感じた。同時に、必要なトレーニングがジュニア世代に広まっていないと課題も見つけた。

小学生の年代でもプロの可能性を感じる選手もいる

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