「日本一のマネジャーに」 苦難乗り越えた東海大初の女性主務、亡き恩師との約束

恩師はダルビッシュらを育てた故・若生正広さん、常に言っていた「日本一のマネジャーに」

 小川さんがマネジャーという役職を初めて経験したのは、埼玉栄高時代だ。当時、硬式野球部の監督を務めていたのは、宮城・東北高の監督としてパドレス・ダルビッシュ有投手らを育てた故・若生正広さん。その若生監督に誘われたのがきっかけだった。

 野球を9人でやることすら知らないところからのスタートだった。ただ仕事に取り組むにつれ、いつしか野球が好きになっていた。気づけば、東海大でも野球部マネジャーという選択をしていた。「若生監督やお世話になっている人たち、応援してくれる人たちのためにも頑張ろうと思うようになりました」。今では、周りの支えが職務に当たる原動力となっている。

 7月27日、若生さんが70歳でこの世を去った。小川さんは東海大進学後も、定期的に連絡を取っていた。最後の会話となったのは5月、春季リーグ戦が行われている最中だった。

「常に言われていたのですが、その時も、『絶対リーグ戦優勝して、ベンチ入って、日本一のマネジャーになって欲しい』って言ってくれました」。春は三つ巴の優勝決定戦で負けてしまい、惜しくも3位。全国大会への切符を手に入れることはできなかったが、まだ、チャンスはある。

「直接報告はできなくなってしまったんですが、今までやってきたことが正しかったと言うことと、ここまで支えてくれた感謝を返すと言う意味でも、神宮で日本一になりたいです」。恩師との約束を果たすため、そして名門・東海大を復活させるため。部の歴史で初めての女子主務は、2つの思いを背負って頂点を目指す。

(川村虎大 / Kodai Kawamura)

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY