松坂大輔が語った引退会見のすべて 「だから会見したくなかった」「最後に報われる」
松坂世代は「本当にいい仲間に恵まれた世代」
――野球への思いが揺らいでしまった時は?
「そうですね……。これは僕だけじゃなくて、怪我をしている選手、結果が出ない選手もいると思いますが、すごく苦しいんですよね。周りの方が思っている以上に。でも、僕の場合は野球を始めた頃から変わらない、野球の楽しさ、野球が好きだっていう。その都度思い出して、なんとか気持ちが消えないように戦っていたというのはありますね。落ち込んでも、最後にはやっぱり野球が好きだ、今でも続けたいと。後半はギリギリのところでやっていたと思いますね。いつその気持ちが切れてもおかしくなかったって思います」
――野球が大好きな気持ちは変わらない
「そうですね。好きなまま終われてよかったです」
――ブルペンの話はいつ?
「4月の終わりの方だったと思いますね。ゴールデンウィーク前くらいから休ませてもらったので、4月の終わりです」
――自信を持って投げられた最後はいつか?
「そうですね、2008年くらいですかね。今でも忘れないというか。細かい成績は覚えてないんですけど。2008年の5月か6月、チームがウォークランドに遠征中で、僕もその前の試合で投げて、ウォークランドで登板間のブルペンの日だったんですけど。ブルペンに向かう途中で足を滑らせてしまって。咄嗟にポールのようなものを転ばないように掴んだんですけど。その時に右肩を痛めてしまって。そのシーズンは大丈夫だったんですけど、シーズンオフからいつもの肩の状態ではなかった。そこからは肩の状態を良くするのに必死でしたね。フォームを大きく被り始めたのが2009年くらいだったんですけど、その頃には痛くない投げ方、痛みがあっても投げられる投げ方を探し始めていました。その時には、自分の思うように投げられていなかったですね。それからは、その時その時の最善策を見つける作業ばかりしていました」
――松坂世代への思いは?
「本当にいい仲間に恵まれた世代だったなと思います。本当にみんな仲良かったと思いますし、言葉に出さなくても分かり合える。松坂世代という名前がついていましたけど……うーん。自分は松坂世代と言われることはあまり好きではなかったんですけど、僕の周りの同世代のみんながそれを嫌がらなかったおかげで、ついてきてくれた。そういうとおこがましいですけど、みんながいたから先頭を走ってくることができたと思いますね。みんなの接し方が本当にありがたかったなって思いますね。それと同時に自分の名前がつく以上、世代のトップでなければならないって思ってやってきましたけど。それがあったから、最後まで諦めずにやることができたかなと思いますし、最後の1人になった(和田)毅にはですね。僕の前に辞めていった選手たちが、僕らに託していったように、まだまだ投げたかった僕の分も毅が投げ続けて欲しいなと思います。同世代の仲間には感謝しています」