「お前をプロに入れてよかったかな?」名球会入り打者が感謝する野村克也の言葉
近鉄へのトレード話が浮上「仰木彬がお前を欲しがっている」
野村氏との師弟関係はわずか3年で終わったものの、1979年には打率.358をマークするなど、その後も外野のレギュラーとして活躍した。だが、徐々にスタメンでの起用が減少した1985年オフに岐路が待っていた。チームは穴吹義雄氏に代わって杉浦忠氏が新監督に就任。フロントからは佐々木誠ら若手の台頭もあり、翌年は「4番目の外野手として評価している」と、控え選手としての起用を伝えられた。
まだレギュラーとして勝負したい思いが強かった新井氏は、他球団への移籍を模索。そんな時に関係者を通じ「近鉄の(ヘッドコーチの)仰木彬がお前を欲しがっている」との情報を耳にした。すると、南海からも「他球団で欲しいというところがある」との話が。もう迷うことはなかった。当時、33歳。最後の勝負と決めて、近鉄への移籍を決断した。
これが大きな転機となった。近鉄で待っていたのは、後に指導者として名コンビを組むことになる仰木彬氏、そして打撃を復活させてくれた中西太氏との出会い。ベテランの域に差し掛かっていた新井氏は見事、復活を果たして、近鉄で7年間プレーすることになる。このトレードがなければ、通算2000安打を達成することはなかった。
(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)