仰木監督から「もう辞めろ」…2000安打が引退の合図 近鉄移籍で果たした完全復活

2000安打を放った近鉄・新井宏昌(右)と吹石徳一コーチ【写真:共同通信社】
2000安打を放った近鉄・新井宏昌(右)と吹石徳一コーチ【写真:共同通信社】

1985年オフに南海から近鉄へトレード移籍した新井宏昌氏

 イチローの恩師としても知られる新井宏昌氏は、現役時代に通算2038安打を放ち“安打製造機”として名を轟かせた。南海から近鉄にトレード移籍したことがきっかけで生まれた偉業。本人の証言を元に振り返っていく連載の第3回目は「第2の恩師・仰木彬との出会い」。

 1985年オフ。当時、33歳だった新井氏は勝負に出る。出場機会が減少していた南海から自らトレードを志願し、近鉄に移籍した。「最後の勝負」と覚悟を決めてチームを移った中で、打撃に微妙なズレが生じていたことを感じ取っていた。

「当時の外野手は、長打を打たないとレギュラーじゃない。そういったイメージがあった。実際に南海時代は門田博光さんに『お前も長打を打たないといけない』と言われ、打撃フォームを徐々に変化していた。これがダメだった」

 体の捻りでボールを飛ばす打撃フォームに変更したことで、本来の姿を見失う。「どうして打てないか分からなくなっていた」と頭を悩ませていたが、近鉄での中西太氏との出会いが運命を変えることになった。新井氏の打撃を見ると、開口一番に「それは間違い。自分から力を出そうとするのではなく相手の球の力を利用して打ちなさい」とアドバイスをもらった。

中西太氏からの打撃指導が転機となり、35歳の1987年に打率.366で自身初の首位打者を獲得

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