仰木監督から「もう辞めろ」…2000安打が引退の合図 近鉄移籍で果たした完全復活
2000安打を放った直後に現役引退を勧告される「もう辞めろ、いいんじゃないか」
仰木監督から絶大な信頼を受け、打撃を取り戻した新井氏は40歳となる1992年まで現役を続けた。同年7月8日のオリックス戦(藤井寺球場)では史上26人目となる通算2000安打を達成。直前の試合ではビジターで2安打を放ち王手をかけていたが「私はあと1本、早く決めたいと思っていたのですが監督から『本拠地のファンの前で打ちなさい』と言われて交代した。配慮してもらい、ファンの前で打つことができました」と感謝する。
だが、節目の2000安打が引退の合図だった。直後にフロントから「来季は契約しない」と伝えられると、仰木監督からも「もう辞めろ、いいんじゃないか」と勧告された。
「年齢もそうだったが、なにより自分の打撃ができなくなっていた。あの年は真っすぐのストライクを何度も空振りすることがあった。自分の中ではあり得ないこと。振りにいってボールに当たらない打席が増えた。それでもうダメだなと。球団から必要とされなくなったら辞める時だった」
プロ通算2076試合に出場し打率.291、2038安打、88本塁打、165盗塁、680打点。7963打席でわずか422三振、三振率は驚異の5.3%を記録した。球界屈指の安打製造機は惜しまれながらユニホームを脱いだが、その後は指導者として“世界の安打製造機”と運命の出会いを果たすことになる。(※伝説の10・19は別枠へ掲載)
(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)