高卒2年目のイチローに「半信半疑だった」 恩師が衝撃を受けた半年後の“大変身”
仰木氏から1本の電話「来年からオリックスの監督になる。一緒にやるぞ、準備しておけ」
翌1993年はテレビや新聞で解説者や評論家を務めて12球団を見て回る日々を過ごした。すると、夏場を迎えた時に再び近鉄から「来季の打撃コーチをやってくれないか」とオファーが届いた。引退直後も指導者への思いは強かっただけに「もう、断る理由はなかった。お願いします」と快諾。ただ、この話は幻に終わり、新井氏が再び近鉄のユニホームに袖を通すことはなかった。
フロントの思いとは裏腹に、当時の監督だった鈴木啓示氏は広島で1軍打撃コーチを務めていた水谷実雄氏を招聘するプランを進めていた。チーム事情が変わることは日常茶飯事。フロントは一転して「すまん、この話はなかったことにしてくれ」と、新井氏に頭を下げたのだった。
だが、シーズンも終盤に差し掛かった頃に運命の歯車が再び動き出す。評論家として西武球場(現ベルーナドーム)を訪れた際に1本の電話がかかってきた。相手は新井氏の現役引退と同時に近鉄の監督を退任していた仰木氏からだった。
「来年からオリックスの監督になる。一緒にやるぞ。準備しておけ」