仰木監督も「どっちがええんや?」 オリ入りを拒む選手も…難航した分配ドラフト

「監督の負担を少しでも減らそうと思ったが、そう上手くはいかない1年だった」

 紆余曲折を経て誕生したオリックス・バファローズ。チームを始動させるために時間を費やしたこともあって秋季キャンプは行われず、チーム全員がユニホームを着て初めて集まったのは、2005年、沖縄・宮古島で行われた春季キャンプだった。

 大きな注目を集めた合併球団。選手の能力を理解することもそうだが、まずは“チーム”としてまとめることが先決だった。昨年まで敵としてグラウンドで鎬を削った選手たちが、短期間で一体になることは容易ではなかった。

「仰木監督も、まだ選手の力量を把握できず、体調のこともあった。監督の負担を少しでも減らそうと思ったが、そう上手くはいかない1年だった。そういった気苦労も体調を悪化させた原因だったのかもしれない」

 2005年シーズンが開幕し、4月は13勝15敗の4位。新生・オリックスはまずまずのスタートを切ったが、仰木監督の病は日を追うごとに悪化していく。プライベートでも間近で接していた新井氏も、その様子を感じ取っていた。

(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)

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