クビ寸前からの首位打者 名伯楽も驚いた“大器晩成”、広島のヒットメーカー

広島時代の嶋重宣氏【写真:共同通信社】
広島時代の嶋重宣氏【写真:共同通信社】

巨人と広島で指導歴37年、多くの名選手を指導した内田順三氏が回想

 今から18年前の2004年、高卒10年目の選手が遅咲きの花を咲かせた。広島・嶋重宣(現西武ファーム野手コーチ)は189安打、打率.337をマークして首位打者と最多安打のタイトルを獲得した。嶋の開花を手助けしたのが、名伯楽として名高い内田順三氏だった。ヤクルト、日本ハム、広島で13年間プレーし、指導者として37年。50年続けてNPBのユニホームを着た内田氏に、教え子や同僚の知られざるエピソードを聞いた。

「お前は1回引導を渡されているんだ。1年しかないぞ。もう何も失うものはない。腰が痛いのかゆいのなんて言ってたら終わりだよ。クビになれば、野球を続けたくてもやれなくなる。体がぶっ壊れても、しゃにむにバットを振りなさい」

 2003年オフ、内田氏は嶋を呼び出して伝えた。当時、嶋は戦力外通告を受けてもおかしくない立場だった。宮城・東北高で本格派左腕として甲子園に出場し、投手として1994年ドラフト2位で広島に指名されたが、1999年に野手に転向した。2002年に2軍で最高出塁率のタイトルを獲得したものの、1軍にはなかなかお呼びが掛からず、2003年は2打席立っただけだった。球団は嶋の解雇を検討していた。だが、内田氏は「嶋を置いて下さい」と球団に要望し、了承された。野球人生はギリギリつながったが、もはや後がない状況だった。

 広島のコーチを歴任後、内田氏は1994年から2002年まで巨人のコーチを務め、2003年に1軍打撃コーチとして再び赤いユニホームに袖を通した。2001年から2度目の監督を務めていた山本浩二氏の要請を受けての復帰。1シーズンを過ごして迎えた秋季キャンプでは、球団や監督から「打撃のことは全て任せる」と“全権”を得ていた。そこで目に留まったのが嶋。「ボールのとらえ方が柔らかい」。期待の若手選手もいたが、それらの選手と比較しても、当時27歳の嶋に可能性を感じた。「若手の成長には時間がかかりますから。今いる選手を生かさないといけなかったのです」。それが嶋の“逆転残留”の理由だった。

2004年開幕3戦目で中日・川上から一発、レギュラーを手中にした

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