クビ寸前からの首位打者 名伯楽も驚いた“大器晩成”、広島のヒットメーカー
2004年開幕3戦目で中日・川上から一発、レギュラーを手中にした
左打者の嶋には明確な弱点が2つあった。左投手が投じる内角に対してはかかと側に体重が掛かってしまい、アウトコースをより遠くに感じてしまう。そして、腰痛を抱えていた。内田氏は練習に工夫を凝らした。マシン打撃では、体に当たるようなボールを打たせて回転運動を染み込ませた。体調に関しては一切手加減なし。トレーナー陣も嶋の立場と内田氏の姿勢を理解し「先がある選手ならば休ませるのもありだけど、嶋は勝負の時。どんどん使ってください。ケアは私たちがやります」と支えてくれたという。
背水の陣で臨んだ2004年シーズンはオープン戦途中で中盤で“危機”を迎えた。シーズン開幕に備えて、実績ある高いレベルの投手の登板が増える時期。キャンプからの疲労も出てくる。しかも相手先発は課題としている左腕。山本監督から内田氏に「きょうは嶋は休ませるぞ」との指令が出た。ところが、代わって出場するはずだった選手2人が背中の張り、膝の痛みを訴えた。「もういいわ、嶋で」。山本監督の指令により、“逆転”でスタメン機会が巡ってきた。
この機会を逃さなかった。3安打。苦手とされていた左腕にも対応できることをアピールした。「これも運です。ラッキーでした。それまでのシーズンは代打や控えに回り、出場機会が少なくなってきてファーム。この年は打ったから1軍に残りました」と内田氏は回想する。
開幕1軍メンバーを勝ち取り、迎えた中日との開幕シリーズ3戦目。相手先発は川上憲伸だった。右腕の代名詞とも言えるカットボールがインコースに食い込んできたが、これを鮮やかにとらえて右翼ポール際のスタンドに運んだ。「ウチ、今年の嶋はいけるぞ」。内田氏は山本監督が叫んだ光景をはっきり記憶する。「やはり、一流の目は違います。あのボールを打ったので監督は使い続け、嶋もどんどんヒットを積み重ねていきました」。嶋は信頼を勝ち取り、ライトのレギュラーを手中にした。