ヤクルト坂口智隆が唯一、弱音を吐いた夜 7年前に溢した不安「野球できるんかな…」

DeNA戦で引退試合を迎えたヤクルト・坂口智隆【写真:荒川祐史】
DeNA戦で引退試合を迎えたヤクルト・坂口智隆【写真:荒川祐史】

3日のDeNA戦に「2番・右翼」で出場し2打数1安打、現役最後の試合で有終の美

 今季限りで現役を引退するヤクルトの坂口智隆外野手が3日、本拠地・神宮球場で行われたDeNA戦に「2番・右翼」で出場した。引退試合でヒットを放って2打数1安打。有終の美を飾り、近鉄、オリックス、ヤクルトで過ごした20年間の現役生活に別れを告げた。

 これまでのプロ野球生活は度重なる怪我に悩まされ、選手生命の危機にも立たされた。「少々の痛みは誰もが持っているもの。やらないと自分の場所がなくなる。常に勝負する気持ちは変わらないから」。どんな状況に置かれても、明るく振る舞ってきた。

 普段は弱音を吐かない男だが、一度だけ心が折れかけたことがあった。2015年10月のある夜。グラスを片手に何度もため息をつく姿があった。

「俺はこの先、ほんまに野球できるんかな? 他のチームから連絡くるかな? NPBじゃなくてもいい。まだやり切ってないし、独立リーグでもどこでも行くつもりやから」

 当時、所属していたオリックスから野球協約で定められた減額制限(1億円以下は25%)超えの大幅なダウン提示を受けた。事実上の戦力外通告に「チームに必要とされていないなら、自分から去るしかない」と、退団し自由契約となることを決断した。

 ロッカールームを整理し、チームを去ってからは携帯電話を肌身離さず持つ生活が続いた。2008年から4年連続でゴールデングラブ賞を獲得、2011年に最多安打をマークするなど実績は十分。当時、31歳と年齢的にも、なんら問題はなかった。

「まだやれる。自信がある」と電話が鳴るのを待った。なかなか所属先が決まらずプレッシャーに押し潰されそうにもなったが、約1か月後の11月13日にヤクルトが正式に獲得を発表。新天地が決まってからの活躍は誰もが知る通りだ。

「引退してからも野球には関わっていくんじゃないかな。野球が好きやから」

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