大谷翔平との出会いで人生“大逆転” 36歳元助っ人がPOで初セーブを挙げるまで
苦労続きの野球人生、転機は日本行きと大谷翔平との出会い
その後、2010年にはテキサスにある独立リーグのチーム、グランドプレーリー・エアーホッグスでプレーした。彼が、初めてメジャーリーグの球団と契約したのは24歳だった2011年。メジャーデビューを果たしたのは2014年、27歳の時だった。日本ハムから誘われたのは、2015年オフのことだ。
日本行きを決めたのは「嫌な言い方だけど、経済的な安定が大きな理由だった」とマーティン。「僕には契約ボーナスとかそういうのは全くなかったし、あまり若くもなかったからね。自分が置かれている状況をよく理解していたよ」と続ける。
日本ハムでは、2016年に52試合に投げ2勝0敗21セーブ、19ホールド。防御率1.07と驚異的な成績を残し、日本一に貢献した。翌年も40試合に投げて防御率1.19の好成績。記事は「日本での経済的な余裕が、彼に向上する機会を与え、彼はメジャーリーグに戻り、活躍することができた」と指摘している。2018年にはレンジャーズでメジャー復帰。その後ブレーブス、カブス、そしてドジャースと投げ続けてきた。
マーティンが遅咲きの花を咲かせるために、欠かせなかったのが大谷翔平との出会いだ。日本ハムで2年間ともにプレーし、スプリットとチェンジアップの握りを教えてもらったのだという。
大谷とのプレーを、マーティンは「毎日、彼を見ることができて本当に楽しかったよ」と振り返る。公共交通機関を利用しての移動を「人を押しのけて、オオタニを守らなければならなかったよ。空港や駅にファンがたくさんいて、クレイジーだったよ」と懐かしそうに語っている。
(Full-Count編集部)