松井秀喜がヤンキース入団を目指した日 長嶋茂雄監督に伝えた“覚悟”
マンハッタンで取材…松井氏への感謝の言葉が口をついたワケ
当時、新聞記者だった私にとって、シリーズ制覇の翌日からは「松井はヤンキースに残留か、移籍か」が取材の焦点となった。ニューヨークの中心部であるマンハッタン内で松井氏の姿を探した。寒空の下、震えながら松井氏を待ったことは数知れず。どうにか何度か話をする機会に恵まれ、コメントを取ったが「何もまだ話せることがないんだ」と多くは語らなかった。契約事項を簡単に話すことはできないのだから無理もない。それでもICレコーダーを差し出す手が震えていたこちらを気遣って、言葉を残してくれていたことに「ありがとうございます」と感謝の気持ちが口をついた。
印象に残っているのは、立ち止まる松井氏の姿を見たニューヨーカーが「MVP!」「ヒデキマツイ!」と通り過ぎるたびに声をかけていたこと。メジャーリーグのファンは選手たちのプライベートを守るため、球場外で選手に会っても安易に握手や話しかけることはしない。だが、この時だけはニューヨークのファンも英雄を称えたかったのかもしれない。マンハッタンでのパレードでも終始「MVP!」コールが鳴り止まなかった。
結局、この年、ヤンキースが松井氏と再契約をすることはなく、翌年はエンゼルスと1年契約を結ぶことになった。ピンストライプのユニホームを着た松井秀喜のヤンキースタジアムの伝説は、1年目の本拠地初戦の満塁本塁打で始まり、ワールドシリーズMVPで締め括られた。それでも翌年4月のエンゼルスの敵地・ヤンキース戦ではニューヨーカーから大きな“マツイコール”で出迎えられた。スタンディングオベーションに打席を一旦外し、声援に応える場面もあった。
エンゼルス、アスレチックス、最後はレイズと渡り歩いた。「3球団、また違ったチームに入れたことはいい勉強になりました。途中、怪我などもあり、自分の年齢との戦いでしたが、そういうことを含めても幸せな時間だったと思います」とメジャー人生を総括。引退後はヤンキースGM付き特別アドバイザーとなり、マイナー選手らを指導するほか、今年のリーグチャンピオンシップでも始球式を務めるなど、まだファンの心には根強くその存在が残っている。ヤンキースを、ニューヨークをリスペクトしているからこその球団側の敬意だろう。