松井秀喜がヤンキース入団を目指した日 長嶋茂雄監督に伝えた“覚悟”

自分から「4番を打ちたい」と長嶋監督に直訴…有言実行

 そんな松井氏がメジャーリーグ行きを強く意識し始めたのも、ヤンキースに対する“リスペクト”からだった。巨人時代の1999年オフに実は渡米して、ヤンキースのプレーオフを観戦。そこで強い刺激を受けていた。

「お客さんの熱気はすごかったです。ユニホームがカッコ良かった。いつかFAという権利を手に入れることができたら、ここでやりたいな、と。そこから意識は変わりました」

 翌年、松井氏は大きな決断をして、巨人・長嶋茂雄監督(現・終身名誉監督)のもとを訪ねた。

「自分から『4番を打ちたい』と伝えたんです。私が巨人で4番を打ち始めたのは2000年からだったのですが、自分にプレッシャーをかけてプレーしないといけないと思いました。その中で結果を残さないといけない。もし、ヤンキースに行くとなったら、とんでもないプレッシャーですから。巨人の4番を打って、結果を出して、誰もが納得するプレーをしないといけないと思いました」

 2000年以前に開幕4番を務めたシーズンもあったが、全試合を4番でフルイニング出場を果たしたのは2000年が初めてだった。広島からは江藤智氏が加入し、他にも清原和博氏、マルティネス氏ら他球団で4番を務めた選手が多くいる中で、打率.316、42本塁打、108打点の好成績。本塁打、打点の2冠に輝いた。ダイエー(現・ソフトバンク)との日本シリーズでも3本塁打をマークし、シーズンも日本シリーズもMVPを受賞。巨人の4番の座を守り抜いた。2001年、2002年もそれが自信となり好成績を残し、メジャー移籍に現実味が帯びてきたのだった。

 2003年にヤンキースの一員として華々しくデビューするまでには、1999年オフにヤンキースから受けた刺激と2000年からの4番としての心の準備があったのだった。故郷の聴衆は松井氏の“知られざる”言葉に大きくうなずくばかりだった。

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