松井秀喜がヤンキース入団を目指した日 長嶋茂雄監督に伝えた“覚悟”
「星稜の監督をやりたいですか?」OBの質問に“神回答”
イベントは創立60周年を迎えた星稜高関係者向けだったため、母校の野球部監督就任を希望する声もあった。質問コーナーでの出来事だった。OBから「私たちの夢でもありますが、星稜野球部の監督をやりたいと思われますか」という問いがあった。
松井氏は「星稜の監督はいつも生徒と過ごして生徒のことがよく分かる方がやる方がいいと思います。私はOBの1人として野球部を応援するつもりです」と回答。しかし、いつも冷静な松井氏が珍しく“慌てた”。「私たちの夢」と語っていたOBの方々の夢を閉ざしてしまったことに気付いたからだった。
「(同窓会が)90周年、いや100周年になって、私がまだ生きていたら……。40年後だと私は88歳。星稜から要請が来て、私が元気だったら考えたいと思います」
速やかに修正し、将来へ“含み”を持たせ、夢をなんとか繋ぐと会場は沸いた。松井氏に夢を託したOBたちはこれで“長生き”することを目標にするかもしれない。この日は午前が野球教室、午後は講演イベントと忙しかったが、久しぶりに再会したであろう当時の担任教諭ら学校関係者や知人としっかりと目を見て話しているのも印象的だった。その言葉、振る舞いには周囲へのリスペクトが感じられた。時が経っても、松井秀喜は変わらない。
松井氏が巨人で50号を放った日本ラストシーズンから20年が経つ。ヤンキースのワールドシリーズ制覇からは13年。その間、多くはないメディア露出の中でも、野球や相手をリスペクトしている言動が見られる。時が経ってもその功績が色あせることがないのは、日本でも米国でも人々の心の中で愛され続けているからではないだろうか。
○著者プロフィール
楢崎 豊(ならさき・ゆたか)
1980年3月、東京都生まれ。東海大高輪台から東海大を経て、2002年報知新聞社入社。巨人、横浜の球団担当記者ほか、アマチュア野球、約3年間、ニューヨーク・ヤンキース中心のメジャーリーグを担当。雑誌「報知高校野球」や「月刊ジャイアンツ」の編集者を経て、2019年からFull-Countで執筆。現在は編集長。少年野球などの悩みを解決する野球育成サイト「First-Pitch」でもディレクションを行う。
(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)