ワールドシリーズ取材で蘇った記憶 誰からも愛された“伝説のアナ”と邂逅した26年前【マイ・メジャー・ノート】第10回

フィリーズの名物アナウンサーだったハリー・カラス氏【写真:Getty Image】
フィリーズの名物アナウンサーだったハリー・カラス氏【写真:Getty Image】

息子トッド・カラス氏はアストロズ公式戦テレビ中継を担当する

 2009年4月13日、ハリー・カラスは敵地でのナショナルズとの開幕戦直前に心臓発作を起こし帰らぬ人となった。あの日、チームの全員がむせび泣いた。優しい語り口の実況はもう聞けない。ドジャース時代に野茂とバッテリーを組み、後年に移籍したメッツで米野球殿堂入りを果たした強打の捕手、マイク・ピアッツァは少年時代をこう述懐している。

「フィリーズで野球がやれたらもっと楽しかっただろう。僕のホームランに“ハリー”が心を躍らせてくれたらこんなに嬉しいことはなかっただろう」

 フィラデルフィアから北西20キロ程に位置するノリスタウンで生まれ育ち、捕手として史上最多の427本塁打を放ったピアッツァはフィリーズの大ファンで、父親と球場に行けないときはハリー・カラスのラジオ実況に耳を傾けた。念願がかない、メジャーに昇格すると、対フィリーズ戦初本塁打を放った時には関係者からカラスの実況テープを入手し、車の中で擦り切れるくらいに繰り返し聴いたという。

 第6戦の勝敗が決まった瞬間、アストロズの公式戦テレビ中継を担当するトッド・カラスは、万感の思いで勝利を噛みしめると、目線を上に向けた。亡き父が天国で見つめた熱戦が幕を閉じた。今年のワールドシリーズには、こんな人間ドラマがあった――。

○著者プロフィール
1983年早大卒。1995年の野茂英雄の大リーグデビューから取材を続ける在米スポーツジャーナリスト。日刊スポーツや通信社の通信員を務め、2019年からFull-Countの現地記者として活動中。日本では電波媒体で11年間活動。その実績を生かし、2004年には年間最多安打記録を更新したイチローの偉業達成の瞬間を現地・シアトルからニッポン放送でライブ実況を果たす。元メジャーリーガーの大塚晶則氏の半生を描いた『約束のマウンド』(双葉社)では企画・構成を担当。シアトル在住。【マイ・メジャー・ノート】はファクトを曇りなく自由闊達につづる。観察と考察の断片が織りなす、木崎英夫の大リーグコラム。

(木崎英夫 / Hideo Kizaki)

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