懐刀の進言に星野監督も仰天「アホか!」 近藤真一の史上唯一“初登板ノーノー”の裏側
強固な信頼関係…星野仙一監督のそばに、早川実氏あり
星野仙一監督のそばに、早川実氏あり。決して大げさではなく、2人のことを知る人は誰でもそう思うはずだ。それほど絆は深く、信頼関係はとても強固だった。誰もが一歩引く闘将に、ズケズケとものを言えたのも、懐刀だったゆえのこと。何かについて「どう思うか」なんて聞かれた時に「○○すればいいんじゃないですか」と言ったこともあったし、聞かれもしないのに先回りして「○○したほうがいいですよ」と進言したこともあったという。
1987年8月9日、ナゴヤ球場での巨人戦。高卒ルーキー近藤真一(現・真市)が初登板、初先発でノーヒットノーランをやってのけた。この記録はいまだに2人目の達成者はいない。令和の怪物・ロッテの佐々木朗希だって、できなかった。実はこの大偉業の裏にあったのが早川氏の提案だ。当時の中日は小松辰雄、杉本正、鈴木孝政の3本柱以外の先発投手のやり繰りに苦心していた。その巨人戦もそうだった。
「だったら真一でいいじゃないですか」。巨人戦の前日に早川氏は星野監督にズバッと言った。「アホか! 全国放送だぞ! 高校生なんか投げさせられるか!」と怒られたが、翌日になると……。闘将は試合当日の練習中に近藤を呼び寄せ、先発でいくことを告げたのだ。「あの人はあの人なりにいろいろ考えたんじゃないでしょうか」と早川氏はいう。もちろん、大記録までは誰も予想していなかったが……。
「だからって、おまえが言ってくれたから、なんて言葉はなかった。試合後に『よかったですね、今日は』って言ったら『たまたまやな』。それでおしまい」と笑うが、それもあうんの呼吸というやつか。「ずっとそう。何かアドバイスして、そのときは否定され、後で結果が出ても褒められたことは一回もない。周りにはあいつしかできなかったやろうなって言っていたらしいけど、直接言われたことは一回もなかった」