戦力外なのに「おめでとう」 心の病で自ら責めた日々…ムネリンがくれた“救い”

栃木ゴールデンブレーブスでプレーする川崎宗則【写真:荒川祐史】栃木ゴールデンブレーブスでプレーする川崎宗則【写真:荒川祐史】

中日戦力外の滝野要に川崎宗則が送った言葉

 言ってしまえば「クビ」。球団から戦力外を通告された選手は、自らをそう表現することが多い。プロ野球人生の岐路は負の象徴として捉えられるが、どうやらムネリンには全く違う“門出”に見えている。「NPB卒業おめでとう!」。その一言に、心が救われた選手がいる。

 川崎宗則内野手との出会いは、プロ3年目の2021年夏。中日の外野手だった滝野要氏は、自律神経系の病気で体調を崩していた。自らの弱さを責め続けていた中で、知人を通じて得た元メジャーリーガーとの接点。誰もが認める元気印から鼓舞されるのかと思っていたが、思わぬ言葉が返ってきた。

「やめていいよ。NPBでやらなくても、楽しく野球しようよ」

 悪だと思ってきた“逃げ”を、事もなげに勧められた。苦しみを理解してくれる大先輩のひと言は、驚くほど響いた。

川崎も体調不良で野球から距離を置いた時期があった

 川崎自身、野球から距離を置いた時期があった。メジャーから日本球界に復帰して2年目の2018年。体調不良に見舞われ、一部メディアでは「引退」と報じられた。そのままソフトバンクを退団。日米の第一線で駆け抜けてきたプロ人生を立ち止まり、振り返り、視野を広げる道を選んだ。

 2019年には台湾プロ野球の味全ドラゴンズにコーチ兼任で加入。新型コロナウイルスの感染拡大で世界的に混乱を招いた2020年は台湾への渡航が許されず無所属に。夏になって独立リーグ・ルートインBCリーグの栃木ゴールデンブレーブスに新天地を得た。

 米国や台湾、そして独立リーグと様々な環境に触れたからこそ、野球の本質は「楽しさ」にあると確信した。決してNPBを否定するつもりはない。ただ、自らの心を犠牲にしてまでしがみつくのは絶対正義だとは思わない。41歳でもなお野球小僧でいる理由を知り、滝野の胸は少し軽くなった。

「自分が楽しいと思いながら、何かに貢献していくムネさんの生き方に憧れました」

元中日・滝野要氏【写真:小西亮】元中日・滝野要氏【写真:小西亮】

自主トレで寝食を共に「否定されないのがありがたかった」

 2022年1月。鹿児島での合同自主トレで、川崎と寝食を共にした。練習はもちろん、汗を書いたら一緒に銭湯に行き、夕食では野球談議に花が咲く。「頑張れ」とも「このままじゃダメだ」とも言われない。「否定されないのがありがたかった」。

 結果だけ見れば、プレーには還元できなかった。4年間で59試合に出場し、打率.174(46打数8安打)、0本塁打0打点。今季限りで戦力外となった。褒められたプロ野球人生ではない。「単純に自分が弱かっただけだと思ってます」と現実を受け止める。

 川崎に報告すると「NPB卒業おめでとう!」との言葉が返ってきた。苦しんできた日々が認められたようで、自然と胸を張る。引退後の人生の方がはるかに長い。野球を嫌いになる前に現役に区切りをつけられたことは、むしろ幸運だと思えた。

 プロ失格の烙印である戦力外は、次のステップの始まりでもある。「僕なりのやり方で、野球に恩返しがしていきたい」。ムネリンからの祝福を心に刻み、力強くセカンドキャリアを歩いていく。

○著者プロフィール
小西亮(こにし・りょう)
1984年、福岡県生まれ。法大から中日新聞社に入社。石川県や三重県で司法、行政取材に携わり、中日スポーツでは主に中日ドラゴンズやアマチュア野球を担当。その後、「LINE NEWS」で編集者を務め、独自記事も制作。2020年からFull-Countに所属。

(小西亮 / Ryo Konishi)

Restart_滝野要編

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