「お前らは史上最低な代」 最後の近鉄戦士が後悔する、高校時代の指揮官との“衝突”
最上級生となった新チームでは主将に任命されるも2週間で剥奪
通算1526安打を放ち、4年連続ゴールデングラブ賞、最多安打のタイトルを獲得し、今季限りで現役を引退した坂口智隆氏。近鉄、オリックス、ヤクルトで20年間プレーできた原点とは? バファローズ魂を胸に抱き、“最後の近鉄戦士”と呼ばれた男の野球人生を振り返っていく、連載の第4回は「監督との衝突、史上最低な代」。
神戸国際大付では1年秋から背番号「1」を背負い、2001年選抜では同校初の甲子園出場に導いた。初の聖地では初戦で市川(山梨)に逆転負けを喫し「全国で結果を残さないと意味がない」と痛感。全国を経験したエースは打っても5番打者として活躍し、チームは黄金期を迎えようとしていた。
春夏連続の甲子園出場を目指したが、同年夏の兵庫県大会は準決勝で1年生エースのグエン・トラン・フォク・アンを擁する東洋大姫路に1-2で敗戦。「甲子園には行けなかったが、ある程度チームも自信を付けていた。次は自分たちの代になるので引っ張っていく立場だったのですが……」。最上級生となった秋の新チームでは青木尚龍監督から主将に任命された。
だが、ここからチームは嘘のように低迷していく。