母に渡した8000万円「何も言わなくていい」 ドラ1入団も…いきなり批判された現実

今季限りで現役を引退した坂口智隆氏【写真:中戸川知世】
今季限りで現役を引退した坂口智隆氏【写真:中戸川知世】

鈴木貴久2軍打撃コーチとの出会い、批判を受けた打撃フォームも「それで大丈夫」

 プロ1年目の2003年は土台作りに専念することになった。高校時代は外野手としても出場していたが「外野の本格的な練習はやったことがなかった。何となく守備をして送球。プロに入ってからは本当に基本から。反復練習がとにかくしんどかった」と振り返る。

 打撃面でも苦しんだ。上半身が前後に移動する「スウェー」、バットの先端が投手方向へ向く「ヘッドが入る」打撃フォームは、周囲から直すように何度も指導を受けた。だが、当時2軍打撃コーチだった鈴木貴久氏だけは「それで大丈夫」と認めてくれた。

「僕の打撃の師匠は鈴木さん。積極性のある打撃を作ってくれた。初球で簡単に終わってもいい。三振してもいいからファーストストライクは必ず振っていけ。見逃し三振だけはダメだぞと。ガンガンいくスタイルの土台は、鈴木さんが作ってくれた」

 真夏の藤井寺では気を失うほどの猛練習だった。それでも、2軍で徐々に結果を残すと1番に固定され、最終的にはウエスタン・リーグでは85試合に出場し、打率.302の好成績を残す。1軍のシーズン最終戦となったオリックス戦では「1番・中堅」で、プロ初出場を果たし初安打も記録した。高卒野手では球団史上8人目となる1年目での1軍出場だった。

「夏の藤井寺はめちゃくちゃ熱い。寮生は夜間練習も必ずあって。今の時代だったら賛否両論ある練習もしました。しんどかったけど、絶対に負けない思いだった。痛い痒いは言わない。近鉄時代には恩返しはできなかったけど、鈴木さんに鍛えてもらったからプロ20年をやってこれた」

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