567発の大打者にまさかの禁断ボール 激怒覚悟も…18歳が成功した“売名行為”
「伝説の隠し球」で知られる立石充男氏が明かす入団当時の秘話
「伝説の隠し球」で知られる立石充男氏は、初芝高(大阪)から1975年のドラフト3位で南海に入団した。1年目、本拠地では2軍の試合後に1軍の手伝いを命じられた。内野手だった立石氏だが、通算567本塁打を誇った主砲・門田博光氏の打撃投手を務め、その後は選手兼任監督だった野村克也氏の打撃捕手役に回るのが決まり。「すごかったです。門田さんは全部ホームラン。野村さんも最初に右中間とかに2、3本打つけど、あとは全部ホームランでした」。そんな中、大胆なチャレンジをしたという。
「門田さんと野村さんの練習になぜ、僕が呼ばれたかわかりませんけど、あの頃はとにかく名前を覚えてもらわなければいけないと思っていましたね」。そのために印象を与えなければいけない。「野村さんは挨拶の仕方が悪かったら返事もしてくれません。だから耳元で大きな声で『おはようございま~す!』って。反応してくれましたよ」。そして門田氏には思い切ったことを試みた。「アウトコースだけは放るなって言われていたんですけど、逆に1回投げてみたんです」。
次の瞬間、強烈なピッチャー返しの打球が右胸付近に当たったという。「門田さんには『だからアウトコースには投げるなって言っただろ、大丈夫か』って言われました」。真ん中は全部ホームランにするが、アウトコースは必ずそうなる。門田氏はそれが分かっていたから、禁じていた。まさにすさまじい技術だが、それでも立石氏はまた違ったことで挑戦した。「ずっとホームランを打たれると悔しいし、フォークを投げたんですよ。そしたら門田さんは空振りしたんです」。