「僕にとっては贈りバント」 少年野球の指導者が涙…“泣き虫”教え子が見せた集大成

リトルリーグ時代の一輝さん【写真:年中夢球さん提供】
リトルリーグ時代の一輝さん【写真:年中夢球さん提供】

野球講演家の年中夢球さんはリトルリーグなどで約20年間、指導に携わってきた

 少年野球の指導者冥利に尽きる瞬間はいつなのか。リトルリーグなどで約20年間、指導に携わり、現在は講演や書籍、SNSを通じて、指導者や保護者に経験や考えを伝えている野球講演家の年中夢球さんには教え子の忘れらない「送りバント」がある。Full-Countの定期連載第2回は“泣き虫キャプテン”と一緒に流した汗と涙の物語。選手は少年野球の指導者のことをずっと覚えているものだ。

◇◇◇◇◇◇◇

 私がリトルリーグ、マイナーチームのヘッドコーチだった頃の話です。当時の小学5年生の代は人数が5人ぐらいしかいなくて、主将を決めるのも一苦労でした。一番、野球への取り組む意識が高い一輝(かずき)という子をキャプテンにしたんですが、とにかくよく泣く子でしたね。

 保護者の方から「うちの子はよく泣くんです」と相談を受けることがあります。ただ、私は問題ないと思うんです。感情が豊かな方がいい時だってあります。その子も事あるごとに泣いていました。きつい練習でも泣いて、試合に勝って喜んで泣いて……。今でもそういう子たちが多かったこと、よく覚えています。

 一輝はバント練習を黙々とやる子でした。一日中やっていた時もありました。バントも結構、きつい練習を課していましたが、彼は楽しくやってくれていましたね。そういう一生懸命な姿勢でチームを引っ張っていってくれていました。僕も基本のバント、セーフティなど、いろいろと技術的なこともメンタル的なこともアドバイスを送ったつもりです。

 リトルリーグから中学のチームに彼は進みました。でも、中学2年生くらいの頃に一輝の父親から「息子が野球を辞めようとしている」と連絡をもらいました。どうやら、チームメートへの不満が募り、野球がつまらなくなってしまった、と。ただ私は一輝にはチームの状況を変えられるだけの人間力が備わっていることを知っていました。野球を続けてほしかったのもあり、引き留めました。

 諦めるのは簡単。「お前が一番最初にグラウンドに行って、球場や道具の整備などをすることから始めてみてはどうか。一輝の姿を見て、ついてくる人間もいる」と伝えました。それから、彼は一生懸命、頑張って野球を続けてくれました。

野球で取り返せる失敗は野球で返すしかない

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY