シーズン記録の16勝も“2軍漬け” 「なんで俺じゃない…」ノムさんから無視の無念

南海でプレーした藤田学氏【写真:山口真司】
南海でプレーした藤田学氏【写真:山口真司】

3年目、江夏のリリーフでついに1軍デビュー…後期だけで10勝

 そして、3年目の1976年、ついに1軍での出番がやってきた。プロ初勝利は4月24日の日本ハム戦(後楽園)。先発・江夏豊投手の後、2番手で登板し、5回1/3を1失点投球でつかんだ。だが、前期はこの1勝だけだった。「初勝利の後、次の遠征先の仙台のブルペンで投げていたら、右手人差し指の関節が痛くなったんです。真っ直ぐを投げるとピリッときた。カーブは引っかからないから投げれるんですけどね」。

 原因不明だったという。「病院に行って注射を打ってもらいました。診断? 覚えてないですね」。何とか痛みが治まり、再び1軍の試合に投げられたのは前期最終戦だった。ローテーション投手に故障者が出たため、先発として復帰できた。8回3失点で敗戦投手となったが、次につながる投球内容でチャンスをつかんだ。後期はすべて先発で登板。後期だけで10勝をマークして、計11勝で新人王に輝いた。

 藤田氏はしみじみとこう話す。「あの時、指を痛めていなかったら、ずっとリリーフの可能性もあったかもしれないし、先発ローテのピッチャーが元気だったら、先発に入ることもなかったと思います」。指を痛めた時は、落ち込んだが、終わってみれば、それが幸いしたのかもしれないのだから、人生はわからないものだ。もちろん、後期だけで2桁勝つのもすさまじい。

「常にいい状態で抑えないと使ってもらえない、いつ2軍に落とされるかわからないってのがありましたからね」。怖かったのはやはり野村監督の目だ。「しょっちゅう、怒られました」と明かす。なにしろ捕手兼任監督なのだから1球、1球に緊張感も漂う。サイン間違いをした時は大変だったという。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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