高2まで「塾通い」続けるも… 元オリックス「都立の星」が大学進学をやめたわけ

もしオリックスの指名がなかったら…「アメリカで野球を選んだ」

 高校3年夏、最後の大会は東東京のベスト8で終わった。

 準々決勝の相手は関東一高で、当時は楽天から巨人に現役ドラフトで移籍したオコエ瑠偉がいた。序盤はリードした展開だったが、後半になって疲れと“私立高の意地”で逆転され、負けた(スコアは3-5)。真夏の神宮球場はサウナのような環境だったが、約150球を投げて完投した。

 夏の大会が終わり、プロ野球の11球団とメジャーの数球団から調査書のようなものが届いた。その前、高校2年生の時に大学へ進学するか、高卒すぐに直接プロ野球を目指すのか、進路を決めなくてはいけなかった。大学への進学を決断すれば、直接プロを目指すことはあきらめなければならない。

「ワクワクするのはどちらか」という点から、雪谷高では前例のないプロ野球を目指すというほうに決めた。

 もしドラフトで指名されなかったら、僕はアメリカで野球をすることを選んでいたと思う。当時からアメリカには興味があり、行ってみたいと思っていたからだ。ドラフトで指名されなかったら良い大学には進学できなかっただろうし、そうなっていたらまたすごく迷っていただろう。

 高校から大学へ進んだ後、ドラフト1位でプロ野球入りした東京の同級生、清水昇(ヤクルト、帝京高-国学院大)や高橋優貴(巨人、東海大菅生高-八戸学院大)が活躍しているのを見ると、もちろん2人がすごいのだが、大学に行くことを選んでいたらどんな野球人生だっただろうと思うことはよくある。

 また大学へ進み、社会人野球を経てプロ野球入りした同級生、伊藤優輔(巨人、小山台高-中大-三菱パワー)の話を聞いても、本当にいろんな環境があるなと思い、そのたびに想像がふくらむ。正解はないと思うし、それぞれの良さがあると思うが、大学へ進んだ人生も送ってみたかったし、野手としての野球人生も過ごしてみたかったな、なんて思う。

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