悔しがる王貞治が「酒で荒れたらしい」 世界のHR王が流し打ちに屈した“剛速球”
スピードガン導入につながった剛速球…世界の王に流し打ちさせた
当時は勝負に負け、連続イニング無失点も止まり、悔しくてたまらなかったそうだが、あの王氏に流し打ちをさせたのだから、小松氏のスピードボールがいかにすごかったかを物語る一件といっていい。その年は途中から抑えに“昇格”し、6勝9敗16セーブと大活躍。抑えといっても、当時は2イニングくらい投げるのは当たり前で、月間MVPを受賞した5月には2番手で4イニングを投げてセーブをマークしたこともあるほど、タフな仕事を見事にこなした。
そんな小松氏の剛速球がスピードガン導入につながった。MAX154キロ。「スピードガンの申し子」と言われ、人気も知名度も全国区となったが、翌1980年は1勝5敗6セーブと成績がダウンし、チームも最下位に低迷した。「逆にスピードを意識して力むようになった。相手打者ではなく、スピードガンと勝負しているような感じだった」と振り返ったように、気合が空回りした形だ。
このままではいけないと気持ちを切り替えて臨んだプロ4年目の1981年シーズン。近藤貞雄監督の1年目で、開幕カードは後楽園球場での巨人戦だったが、この時のことも小松氏はよく覚えている。指揮官に「お前は裸踊りしているのと一緒だ!」と激しく叱責されたからだ。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)