落合博満が憤慨「じゃあやめる」 100km先の温泉地で引き留め…急展開した“確執騒動”

落合氏の自主トレ先に駆け付けた中日の3選手…星野監督からの要請だった

 1989年1月、小松氏は夜に突如、星野監督の家に呼び出されたことがあった。宇野勝内野手と鈴木孝政投手も同じように呼ばれた。「何事かと思ったら『落合がやめるって言っている。俺が行くと駄目だから、お前ら行って説得してくれ』って言われた」。長野・昼神温泉で自主トレ中の落合氏が星野監督の方針に反旗を翻したと報じられ、さらに球団もマスコミに呼応。これに憤慨した落合氏が「じゃあやめる」と言い出していた。

 星野指令で昼神温泉に駆けつけた3人。「落合さんは『俺はケツまくったから』って言っていたけどね」と小松氏は振り返ったが、結果的にここから騒動は急展開して、落合氏が名古屋に戻って謝罪会見を開き、解決となった。「振り上げた拳を俺らが行ったことで、下ろせたってことじゃないかな」。

 小松氏はチームリーダーとして中日ナインをぐいぐい引っ張った。「小松の親分」とも呼ばれていた。1988年は12勝をマークして星野中日のリーグ優勝にも貢献した。だが、そこからは故障もあって、苦しいシーズンが続いた。高木守道監督になった1992年に9勝、1993年も7勝をマークしたが、1994年は1勝に終わり、現役引退となった。もっとも、当初はこの年でやめる気など毛頭なかったという。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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