落合博満が憤慨「じゃあやめる」 100km先の温泉地で引き留め…急展開した“確執騒動”

中日時代の落合博満氏【写真:共同通信社】
中日時代の落合博満氏【写真:共同通信社】

ナゴヤ球場の赤電話を破壊した星野監督…10円玉が飛び散ったという

 ひとたび怒りのスイッチが入った星野仙一監督は周囲の予想をはるかに越えた行動を起こしたこともよくあった。元中日エースで「スピードガンの申し子」と言われた野球評論家の小松辰雄氏は、打撃不振に陥っていた落合博満氏絡みで、衝撃のシーンを目撃したことがある。闘将が「電話ばかりしているから打てんのじゃあ」と吠えながら、ナゴヤ球場にあった赤電話を持ち上げて、地面にたたきつけて破壊したという。

 1987年からの第1次星野中日の初年度の目玉は何といっても落合氏だった。牛島和彦投手ら4選手との交換トレードでロッテから移籍してきた3冠男で、年俸は1億3000万円(推定)。プロ野球初の1億円プレーヤーに対する期待も注目度も高かった。だが、スロースターターで4月、5月はあまり調子がよくない傾向もあった。中日2年目の1988年は5月を終えて打率.260。6月1日の巨人戦(東京ドーム)では3番に“降格”となった。

 小松氏は「いつだったかの東京での巨人戦、俺は上がりでホテルにいた。試合に負けて帰ってきた監督は怖い顔をしていて、みんなが通った瞬間に『オチー、いつになったら打つんだ、何とかせえ!』って」。怒られた落合氏は「はい」と答えていたそうだ。ナゴヤ球場の“赤電話破壊”も似たような流れ。当時の落合氏は場所に関係なく、頻繁に電話をすることで有名だった。携帯電話はまだ普及しておらず、公衆電話を利用することもしばしばだったという。

 それを星野監督も知っていたからこそ、打撃不振の主砲への怒りを赤電話にもぶちまけた。「ナゴヤ球場のちょうど監督室から降りたところで、風呂場の手前にあったんだけど、それをガシャーンってね。10円玉がパラパラパラと飛び散って、みんなで拾った」と小松氏は明かす。その後、電話は新しく緑色のものに変わったそうだ。

落合氏の自主トレ先に駆け付けた中日の3選手…星野監督からの要請だった

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