社長の「いらん」に「じゃあ、やめますわ!」 二転三転の監督人事…割食ったエース
1995年のオリとのオープン戦でラスト登板…イチローに二塁打を喫した
引退試合もナゴヤ球場での巨人との最終戦の予定だったが、それさえもできなくなった。長嶋巨人が失速し、中日が巻き返し、最終戦は勝った方が優勝という「10・8決戦」になったからだ。「最後の試合に登板して、セレモニーもすることになっていたんだけど、それどころじゃなくなったんでね」。中日は敗れて優勝は逃したが、高木監督は一転して留任が決まり、星野監督の復帰は先送りとなった。しかし、小松氏の引退は変わらなかった。
1995年のオリックスとのオープン戦が引退試合になった。2軍投手コーチに就任していた小松氏は打撃投手を務めて肩も作ってのマウンドだった。「5回だったかな、打者がイチローの時に登板した」。前年に210安打を放って大ブレークした相手に1球目はボール。「四球になったらしゃれにならないと思って真っ直ぐをすーっと真ん中に投げたら、打ってきたんだよ、あいつ。まだ打たないと思って投げたのに……」。右中間二塁打だった。
「あれは打っちゃいかんでしょ。2球しか投げてないんだから。打たれるのはいいけど、5、6球は投げさせてくれんと、見に来た人もいるんだし……。2球だし、どうしようか、もう1人いこうかと思ったけど、高木さんが(交代を告げに)出てきたから、代わったけどね」。悔いは残ったが、これもまた印象深い思い出になっている。
1996年から星野仙一氏が当初の予定より1年遅れで中日監督に復帰した。第2次星野政権のスタートだ。小松氏は1軍投手コーチを務めたが……。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)