OP戦開幕投手もKO「死ぬまで走っとけ」 暗闇の“罰走”&闘将からの予期せぬ通告
5年目はOP戦開幕投手もKO…罰走に「一晩中走るのかと思った」
4年目を終えて勝ち星なし。当然、戦力外の恐怖はあったが、何とかそれはクリアした。それでも安心はできない。次こそがラストチャンスなのではないか。より危機感が募って、何とかしなければとの思いで始まったのが1988年の5年目シーズンだ。沖縄・石川キャンプでアピールに成功してオープン戦の開幕投手に。宜野湾での大洋戦に先発した。だが、結果はKO。バスで石川球場に戻ると「『死ぬまで走っとけ』と言われた」そうだ。
「午後4時くらいから走りましたよ。みんな帰って、誰もいないところでね」。ゴールはわからない。ただ走るだけだった。「月明かりで走ってましたね。このまま一晩中走るのかと思いました」。午後8時半頃にマネジャーがやってきて「もういいぞ」でようやく終了。帰りの車に乗ったら「星野さんの部屋に行け」と指示された。「そこで言われたんです。『お前、今年の11月の終わりまでアメリカに留学しろ』って」。
その年の中日は1次キャンプが沖縄・石川で、続いてドジャースのキャンプ地・米国フロリダ州ベロビーチに移動するスケジュールだった。山本氏は、その2次キャンプメンバーに選出されたものの、他の選手と一緒に日本に戻れず、居残っての米国修行が告げられたのだ。西村英嗣投手、藤王康晴外野手、神山一義外野手、前原博之内野手と山本氏の若手5人がそのメンバー。日本での活躍の場がなくなったのだから、これでシーズン終了の気分だった。
「行きたくない」が正直な気持ちだったが、もはや行くしかなかった。そして、そのベロビーチキャンプでも悔しい思いをすることになる。「本当にやめたいと思った……」。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)