米修行でも酷評「横手投げか運転手に」 屈辱の球拾いも…数か月後の”大変身”
ド軍オーナー補佐、アイク生原さんの指導を受け急激に成長
アイク生原さんには改めて基本を徹底的に叩き込まれた。「上から投げなさい」「ボールは低めに投げなさい」「前で放してみなさい」「ストライクを先行させなさい」。「『そんなこと、知ってます』と言っていたんだけど、いざ、スコアブックをつけてやってみると、全然できていなかった。できていないところにアイクさんが付箋をつけるんだけど、付箋だらけ。それで一から頑張ろうってなったんです」。
ドジャース伝説の左腕、サンディ・コーファックス氏にピッチングを見てもらう機会があった。「アイクさんが頼んでくれたんだけど『コーファックスは、このピッチャーはサイドスローにするか、トラックの運転手にした方がいいと言ってたぞ、どうするヤマ』って言われたんです」。
プロ1年目に投手コーチに「サイドスローにしろ」と言われて断った山本氏は、ここでも「どうするもこうするもないでしょ、アイクさん、このままでいいです」ときっぱり。アイクさんは「そうか、じゃあ頑張ろう」と言ってくれたそうだ。
「僕は野球人生で2回、サイドスローのピンチがあったんですよね」と振り返ったが、そんなふうに言われて気分がいいわけがない。その後の成長への糧にもなったのは間違いないところだ。所属したドジャース傘下1Aベロビーチでも、最初は敗戦処理の役割だったのが、そこから巻き返して、先発ローテーションに入るまでになった。マイナスからのスタートをアイクさんとの二人三脚で少しずつプラスに変えていった。
「6月くらいに、僕が先発した試合をコーファックスが見ていたんです。スタンドでアイクさんと並んで」。その時のアイクさんのうれしそうな顔は忘れられない。「ヤマ! って、僕のところに来て、コーファックスに『あなたが春に見た時、トラックの運転手かサイドスローにした方がいいって言っていたピッチャーですよ』と伝えたら『俺が、このピッチャーにそんなことを言うわけないだろ』と言ってたぞって」。
まさに成長の証しだった。自信につながったのは言うまでもない。アイクさんとともに基本からやり直し、さらにスクリューボールを覚えたことが大きかった。それは、その後の山本氏の野球人生を支える球種にもなったが、このボールの習得にもドラマがあった。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)