トイレで密かに朝食…周囲にバレたら絶望 辞任を許されぬコーチの壮絶な日々
日本ハムにドラ1位入団…高代延博氏は1990年に広島1軍守備走塁コーチに就任
“日本一の三塁ベースコーチ”と称される高代延博氏は1978年ドラフト会議で日本ハムに1位指名され、東芝から入団した。1年目にショートのレギュラーを獲得し、ダイヤモンドグラブ賞(現在はゴールデングラブ賞)を受賞。その後も中心選手として活躍したが、1988年オフに広島にトレード移籍し、1989年に現役を引退した。その後は指導者としても力を発揮。振り返れば最初の広島コーチとしての経験が大きかったという。
広島に移籍する時、高代氏は日本ハム元監督である大沢啓二球団常務取締役から「広島が左ピッチャーに強い右バッターを欲しがっているから、お前を名指しできたから行ってこい」と言われた。広島・山本浩二監督は法大の大先輩という縁もあった。「大沢の親父からは『2年間レンタルでと約束したから、2年たったら戻ってこい』と言われて、広島に行ったんですけど、結局、10年いました」。
広島での現役生活は1シーズンだけ。1990年から1軍守備走塁コーチになった。「コーチとはこういうもんだということを教えられたことがないし、やることが違ったら、怒られた。それこそ怒鳴られっぱなし。大変でしたね」。日南キャンプではスケジュール表を作成するのも仕事のひとつだったが、何度もやり直しを命じられるなど、いつも夜遅くまでかかった。「OKをもらって刷って、宿舎のフロントに10枚渡して、それから2軍の宿舎とか全部に配って、帰ってきたのが午前1時半とかしょっちゅうあった」。
様々な準備があるため、キャンプ中は朝食をまともに食べられない日も多かったという。宿舎の人も心配してくれたそうで「高代君と(同じく内野守備コーチの)阿部(慶二)ちゃんに、って握り飯をもらったこともあった。見つかったらいけないからトイレでこっそり食べたりしていましたね……」。