人生を変えた「甲子園の感想文」 オリ日本一戦士が今も忘れない…恩師の“金言”

卒業後は本当は「教師になりたかった」小川博文さんが追った背中

 監督は選抜後「やっぱり、みんなの高校野球をいい形で終わらせてあげたいんだ。いい形というのは人それぞれ考え方が違うかもしれないけど、みんなにとってプラスになるような形で終わらせてあげたいんだ」とチームを引き締めた理由を選手に話していたという。厳しくも、選手の成長をいつも願っていた。

 小川さんは社会人の名門・プリンスホテルを経て、1989年にオリックスに入団。強打の内野手としてレギュラーを獲得し、95、96年のリーグ連覇に大きく貢献。1番から9番までこなし「全打順本塁打」も達成した。パンチ力だけでなく、通算169犠打、54犠飛と“黒子”にもなれる存在で、強いオリックスの象徴だった。こういうプレースタイルも恩師の言葉が起点となり、積み重ねてきた数字だった。

「自分の“戒め”にもなりましたね。今、どうしたらいいのか。お前は今、何したらええねん……とか、絶えず自分を向上させようという気持ちになれました。そこで止まってしまうのは嫌だった。もっともっと小枝さんから話を聞きたかったですね。時にはもちろん厳しいことも言われましたけど、今思えば本当によかったな、と」

 高校卒業後、実は小川さんは教師を目指そうと思ったという。それは小枝監督の教育者としての姿に「自分もこうなりたい」と未来を重ね合わせていた。監督にも教師になる希望は伝えていた。だが、導かれた先は社会人の名門、そしてプロ野球の世界だった。

 引退後もコーチなど野球界で活躍し、近年はオリックスのジュニアチームの監督を務めるなど野球振興に尽力している。小枝さんは小川さんの高校3年間だけを見ていたのではなく、ずっとその先も視界に捉えていたのだろう。野球の伝道師、そして自分の思いを広く伝えていける人材になれる――。そう信じて今も天国から教え子を見守っている。

(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)

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