「間違いなく毎回言われた」 18歳で“初登板ノーノー”…大快挙の裏に先輩からの煽り
1987年8月9日、中日の高卒ドラ1・近藤は初登板でノーノーを達成
満月の夜に生まれた大快挙だった。1軍公式戦初登板でノーヒットノーランを達成。長いNPBの歴史の中で、この偉業を成し遂げたのは、たった1人しかいない。1987年8月9日、ナゴヤ球場で高卒ルーキー、18歳の中日・近藤真市(当時は真一)投手が巨人を相手にやってのけた。あれから36年、現在は岐阜聖徳学園大学硬式野球部監督を務める近藤氏のここまでの野球人生をクローズアップする。
球場全体が異様なムードに包まれていた。“これは、もしかしたら……”。“おいおい、本当にいきなりやってしまうのか……”。試合終盤はそんな感じでマウンド上の若き左腕をスタンドから見つめていた人も多かったはずだ。史上初の出来事に遭遇していたのだから当然だろう。当の近藤氏は「意識したのは5回が終わったくらいですね」と言う。その時点で中日が主砲・落合博満内野手の23号、24号の2本塁打などで6-0とリードしていた。
「後ろには鹿島(忠)さんがいて、抑えには(郭)源治さんがいるから、勝ち投手にはなれるなって思ったんで、ちょっと(ノーノーを)意識しようかなって感じで投げましたね」。先輩チームメートの石井昭男外野手(現巨人打撃コーチ)には「あと何回」「あと何回」と声を掛けられた。「石井さんにはずっとそれを言われた気がします。5回より前から言われていたかもしれません。5回以降は間違いなく毎回、言われました」。
9回表、最後は巨人・篠塚を際どいコースの内角カーブで見逃し三振に仕留めて、ノーヒットノーラン達成のガッツポーズ。「最後の球は投げた瞬間、抜けたと思ったんで、実際はボールだったかなって思うんですけど、異様な雰囲気だったですからね。あれで球審の井上(忠行)さんもストライクって言ってくれたのかなって感じもします」と近藤氏は振り返ったが、その瞬間、球場は興奮のるつぼと化した。