全力で投げても本塁届かず… 「何の思い入れもない」背番号変更で狂ったドラ1の“運命”

1988年に左肩に激痛「全力で投げても届かなかった」
その後、ボールがいかなくなった。開幕してから先発3試合連続で敗戦投手。「ちょっと投げるのに恐怖心があるのかなって感じ。甘いところにいっちゃ駄目だって体が反応していたのかもしれない。(アメリカの)後遺症だなって思った」。それでも、5月以降、徐々に立ち直り、球宴折り返しまでに7勝6敗と白星を先行させるまでになった。だが、このあたりで異変が生じた。
「オールスター休みの練習中にピッチングしたんですけど、ホームベースまで全力で投げても届かなかったんです。(投手コーチの)池田(英俊)さんに『お前、何やっているんだ』と言われましたから。その時におかしいなとは思ったんですけどね」。実際、それは前兆だった。後半戦は8月2日の大洋戦(ナゴヤ球場)に先発したが、途中からスピードが出なくなって降板し、敗戦投手になった。そして、その夜、左肩に激痛が走った。故障発生だ。
それでも痛み止めを打って9月には復帰し、中日の優勝が決まった10月7日のヤクルト戦(ナゴヤ球場)にも5番手でマウンドに。翌10月8日の広島戦(ナゴヤ球場)では同点の8回から3番手で登板した。延長11回まで4イニングを無失点投球。その裏、中日がサヨナラ勝ちして、勝利投手になった。後半戦初白星となるシーズン8勝目だったが、その時は思ってもいなかった。これがプロで最後の勝ち星になるなんて。
背番号が「13」から「1」に変わった1988年シーズン。星野中日は優勝し、近藤氏は西武との日本シリーズにも第4戦に3番手で投げて2回1失点。肩さえ治れば、また元のように投げられると思っていた。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
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