「獲れるまで帰って来るな!」 巨人入りもあった左腕大争奪戦…闘将に応えたスカウト
岩瀬に「付きっきりになろうと思って…必死でした」
投手・岩瀬はNTT東海で大きく飛躍した。当然、他球団スカウトも目をつけていた。専属として近藤氏は負けるわけにはいかなかった。「当時、僕は中国・四国担当でもあったんですが、岩瀬が投げるって情報が入ったら夜行バスで帰ってきて見にいきましたね。とにかくどんな時も見に来ているというのをわかってもらおうと、ずっとやりました。岩瀬はまた近藤真市が来てるって思ったらしいですよ」。
大学選手権が行われている時も岩瀬マークを外さなかったという。「大学選手権って12球団のスカウトが集まるんですけど、僕は行かなかったんです。岩瀬に付きっきりになろうと思って。ホント、必死でした。獲れなかったら仕事ができていないのと一緒なんでね」。当時のドラフトには大学生と社会人野球の選手で1球団につき、2人までが希望するチームを宣言できる逆指名制度があった。何としても岩瀬に中日を逆指名してもらう。近藤氏はその1点に集中した。
岩瀬は巨人ファンだったが、その年の巨人は大体大・上原浩治投手と近大・二岡智宏内野手に逆指名枠を使った。「2人が決まったのは大きかったですね。あれが決まってなかったら、岩瀬は逆指名で巨人に行っていた可能性はあったと思いますよ」と近藤氏は振り返る。そして、岩瀬は中日を逆指名してくれた。「それを聞いた瞬間、ホッとしました。ホント、うれしかったですね」。
背番号はかつて近藤氏がつけていた「13」に決まった。「13が空いていたんで、岩瀬に『つけてくれないか』って言ったら快く受けてくれたんです。これもうれしかった。2人で星野さんに言いに行きました。星野さんは笑いながら『そんな番号でいいのか、前につけていたのは誰だか知っているのか!』って岩瀬に言ってましたけどね」。
岩瀬はNPB最多の通算407セーブをマークするなど、日本球界を代表するクローザーになった。「僕の野球人生においてはノーヒットノーランもそうですけど、岩瀬との出会いも5本の指に必ず入ってきますよ。こんな選手と巡り会えて幸せだなって思っています」。そう言って近藤氏は微笑んだ。